※この記事は、次の記事をもとに作成しました。詳しくはこちらをごらんください。
「走れメロス」を初めて読んで、
「ウソクセー」「説教クセー」と感じたあなた。
大正解です!
物語を読んで何を感じるかは、あなたの自由です。大切なのは、その感じたことを言葉にして表し、変化させていくこと。これこそが「読み深める」という営みなのです。
一般的に最後の場面は「友情の美しさ」であり、メロスが赤面したのは「謙虚さ」「純粋な感情の表れ」と解釈されますが、ここでは別の視点から考えてみましょう。
メロスの「真っ裸」の意味
物語の最後、メロスは真っ裸で刑場に走り込みます。
なりふりかまわず、信頼に応えようとしたその姿は、「自分のすべてをさらす」ことと同じです。
群衆は熱狂し、王は感動し、少女は緋のマントを差し出しました。
セリヌンティウスは代弁します。
「このかわいい娘さんは、メロスの裸体を皆にみられるのが、たまらなくくやしいのだ。」

この言葉を聞き、メロスは赤面します。
必死な姿をさらすこと(裸になること)は、恥ずかしいことだからです。
緋のマントが語るもの
緋という色は、情熱・傷・血・恥じらいを象徴します。少女が渡した緋のマントは、メロスの「必死に生きた姿」を包み込むものでした。
友情のために走ったメロス。しかしそれ以上に、「信じられている自分」を守るために走ったのかもしれません。
そして必死の姿は、包み隠すべきものだと太宰は言いたかったのかもしれません。
太宰治と時代背景
太宰治は、自分の弱さを知っていた人でした。
「熱海事件」*1で檀一雄の信頼に応えるためには、恥ずかしさに向き合う勇気がなければできませんでした。そして太宰治は、それができなかったようです。
更にこの作品が書かれた昭和15(1940)年は、戦争の影が迫り、忠誠や信義が強く求められた時代。だからこそ太宰は、当時の社会が求めた忠誠や信義に、ほんとうに応えるべきなのか、と問いかけたかったのかも知れません。そして物語を通して「ほんとうに信じるとは?」という問いを投げかけたのでしょうか。
あなたへの問いかけ
あなたは、自分が「信じられている」と感じたとき、
恥をかいてでも走りたいと思ったことはありますか。
そして、誰かのためにマントをそっと渡したことはあるでしょうか。
メロスは走りました。
しかし太宰治は走れませんでした。
あなたは……
金子みすゞの詩の言葉を借りれば「みんなちがって、みんないい」のです。
*1:「熱海事件」についての詳細は『十種神宝 学習の手引き』の該当ページをご覧ください。



