「扇の的」ってそもそも無理ゲーなんですが――下っ端与一の奮戦記

時に西暦1183年2月18日(旧暦)午後6時頃、

 

源氏の弓の名手・那須与一が、海の上に立てられた「扇の的」を見事に射抜いた。

扇の大きさは約30cm × 50cm。距離は70〜80m。

しかも強風の中で馬上からの射撃。

 

実験によると、的に当たる確率は5回に1回ほど。  

それでも与一は一発で当ててみせた――“国体級”の技術!

 

まさにヒーロー!

おかげで彼は800年以上経った今でも

出身地大田原市ゆるキャラになるほど愛されている。

 

でも……この話には裏がある。

 

実は、最初に命令されたのは源氏のエース、畠山重忠那須十郎。

だけど2人とも仮病で断った。

 

扇には日の丸(太陽)が描かれていて、赤地に金は天皇の象徴。  

つまり、「帝に矢を放つような行為」で、めっちゃ怖かったのだ。

 

そして、最後に呼ばれたのが与一。

断るスキも与えられず「やるしかなかった」。

 

扇の的は、戦の勝敗を占う儀式。

使うのは音が鳴る「鏑矢」。

 

命中しづらい矢だった。

しかし、源氏の士気はこの一矢にかかっていたのだ。

 

与一は扇の要近くを見事に射抜き、扇は空を舞って海へ。  

 

それを見た平家の女官・玉虫の前は、

舞い落ちる扇を桜や紅葉に見立てて歌を詠んだ

 

時ならぬ花や紅葉をみつるかな

   芳野初瀬の麓ならねど

 

――それが「見立て遊び」。貴族たちのセンスが光る場面でもある。

 

名人の技なのか、ただの運なのか。

命令で射たのか、名誉のためだったのか。  

 

歴史の表と裏が重なるこの場面には、まだまだ謎がつまっている。

 

この扇に込められた「祈り」と「挑発」

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