太宰治の「熱海事件」と『走れメロス』

左から太宰、小舘善四郎、山岸外史、檀。 太宰・檀・山岸外史は「三馬鹿」といわれるほどの友人でした。
1936年12月。太宰治(当時27歳)は、原稿執筆のために熱海温泉に滞在していました。
しかし12月下旬、「お金がない」と内縁の妻・初代に連絡。
初代は太宰の友人・檀一雄に70円(現在の10万円ほど)を持たせ、熱海へ向かわせます。
ところが太宰は、そのお金で檀とさらに豪遊。
借金は300円(現在の40万円ほど)に膨れ上がってしまいました。
太宰は「東京に戻って菊池寛から借りてくる」と言い残し、檀を人質にして熱海を出発。
しかし、いくら待っても戻ってこない。
待ちきれなくなった檀は宿の主人とともに上京。
すると太宰は、菊池寛の家ではなく、師匠・井伏鱒二の家で将棋を指していたのです。
激怒する檀に、太宰はこうつぶやきました。
待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね。
後年、檀一雄は語っています。
おそらく私たちの熱海行が、『走れメロス』の重要な心情の発端になっているのではないか。
「訳のわからぬ大きな力」――最後にメロスを走らせたもの
『走れメロス』のクライマックスで語られる
「もっと恐ろしく大きいもの」「訳のわからぬ大きな力」
とは何でしょう。
直前にはこうあります。
信じられているから走るのだ。
ここに、メロスの“変化”があります。
それまでのメロスは、
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友の命を救う
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自分の名誉を守る
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王に信実を示す
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義務を果たす
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信頼に報いる
すべて「自分中心」の理由で走っていました。
独善的でプライドが高い、メロスらしい動機です。
しかし、フィロストラトスの言葉によって、
初めてメロスは気づきます。
「自分を動かしているのは、自分ではなく“友の力”だ」
この転換こそが、物語の核心です。
『走れメロス』の元ネタ――シラー作「人質」
作品末尾に「古伝説とシルレルの詩から」とあるように、
『走れメロス』には明確な原典があります。
古代ギリシャの伝説「ダモンとピシアス」。
死刑を宣告されたピシアスが、友ダモンを人質にして外出し、
約束を守って戻ってきたことで王が感動する――という物語です。
この話は中世ヨーロッパで大流行し、
1799年、シラー(ベートーベン「第九」の作詞者)が『人質』として再話。
日本でも明治以降、修身や読本に取り入れられ、
太宰自身が使った小学校教科書にも載っていました。
1937年、太宰は小栗孝則訳の『人質』を読み、
これをもとに1940年『走れメロス』を書き上げます。
太宰の真意
『走れメロス』は細かく読むと、おかしなところがたくさんあります。
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なぜメロスはあんなに短絡的なのか
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なぜ王は急に改心するのか
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なぜ最後にメロスは赤面するのか
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そもそも太宰は、なぜこの話を書いたのか
シラーの「人質」と比べると、
太宰がどこをどう変えたのか、そしてなぜ変えたのかが見えてきます。
それは、
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パロディなのか
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檀一雄へのあてつけなのか
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友情と信頼の物語なのか
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あるいは太宰自身の“心の物語”なのか
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あるいは……
最後の謎に、ぜひ挑んでみてください。
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